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2021/03/01

「YELL」VOL.22 ~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~ from 金子 さち

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YELL  VOL.22

~社会の第一線で活躍するそろばんOBからの応援メッセージ~

from 金子 さち

         ※金子氏は2列目一番右

<略歴>※全珠連会報第184号(2021.3)に掲載時点

愛媛県宇和島市生まれ

平成13年 愛媛県立宇和島東高等学校卒業

平成17年 立命館大学経営学部卒業

平成19年 立命館大学大学院法学研究科修了

平成19年 財務省四国財務局入省

平成22年 財務省出向~現在に至る

<珠算大会の成績(全珠連)>

平成4年度全日本通信珠算競技大会 小学校4年生以下の部 日本一

平成11年度全日本通信珠算競技大会 高等学校の部 日本一

平成13~18年度全日本通信珠算競技大会 一般の部 団体総合(立命館大学) 日本一

平成19年度全日本珠算選手権大会 個人総合競技 第3位

 

まず、今回寄稿のお話をいただきました、広報委員長の鈴木宗一先生に大変感謝いたしております。このような貴重な機会をいただき、誠にありがとうございます。

 

皆さん、こんにちは。私は愛媛県宇和島市出身で、現在は東京に住み財務省に勤務しております2児(年長の長女、3歳の長男)の母です。母になってからも、ひそかに全日本通信珠算競技大会や全日本珠算選手権大会には出場させていただいております。未熟者で、また文才もないため、今回執筆させていただくことに大変恐縮しておりますが、お時間のある際にお読みいただけましたら幸いです。

 

そろばんとの出会い・学生時代の話

私がそろばんを始めたのは保育園年中の12月で、両親が営んでいる愛媛県宇和島市の宇和島商業専門学校で、自然と始めていました。

子供の頃のエピソードでは、珠算の先生が両親であることからつい甘えてしまい、父に怒られるとすぐに拗ねて家に帰り、そして母になだめられては教室に戻っていたことが思い出されます。「家ではお父さんお母さんやけど、教室では先生だと思いなさい」とよく両親から言われていましたが、幼少の私は「なんで?同じ顔やのに?」と言っていたそうです。

このように、両親に甘えつつも計算することはとても楽しかったので、練習には楽しく通っていました。大会や検定でも順調に上達していましたが、小学2年生の頃、見取算が急にできなくなるというスランプに陥ったことがありました。スランプに打ち勝つために、まずは練習量を増やして見取算を重点的に練習しました。それでもなかなか問題数が上がらず悩んでいましたが、ある日、学校から帰宅すると、机の上に新しい鉛筆と、両親から「書きやすい鉛筆です。これで練習して頑張ってね」と手紙が置いてありました。思いがけない贈り物と、両親の応援してくれる気持ちがとても嬉しかったのを覚えています。そして、この鉛筆で練習することによって、ようやくスランプを乗り越えることができました。今になって思うと、このときのスランプは、幼いながらもプレッシャーに押しつぶされてしまい、「次もよい成績を取らないといけない」という気持ちの問題が原因だったと思います。そして、スランプを克服できた要因は、練習量でもありますが、一番は両親からの応援がとても力になったからだと思います。

その後、小学4年生のときに全日本通信珠算競技大会で、念願の日本一になることができました。このことがきっかけで、小学校高学年あたりから、さまざまな大会や、全国各地で開催されている合宿(大阪のセミ合宿、東京のそろばん村、宮城の東北そろばん村)に参加し武者修行を始めました。全国のそろばん仲間と一緒に練習をすることができ、とても貴重な経験でした。合宿から帰ってくると、必ず成績も伸びていました。

一方で、自分なりに日々の練習もがんばっていましたが、いつの間にか全国大会の成績をみると、同級生に引き離されるようになっていました。そのため練習量を増やし、大会が近くなると朝練習も始めました。結果に結びつくまでには長かったですが、高校2年生のときの全日本通信珠算競技大会で、再び日本一になることができました。

そして、大学は珠算部がある立命館大学に進学しました。大学に入学後は、滋賀で一人暮らしを始め、憧れの京都の猪熊珠算教場の山本正春先生にご指導いただき、とても幸せな6年間でした(大学院に進学後も師事)。大学ではよきメンバーにも恵まれ、よい刺激を受け、全日本通信珠算競技大会では団体日本一6連覇を達成することができました。

そして、就職先を考える時期になり、民間企業への就職も考えましたが、「そろばんで培った能力を広く人々のために役立てたい」という漠然とした思いがあり、公務員試験を受験することにしました。公務員試験の勉強は、想像以上に厳しく長い道のりでしたが、そろばんで培った「集中力」でなんとか試験に合格し、財務省四国財務局に入省することができました。

 

そろばんで培った能力・社会人になってからの話

そろばんで培った能力は、社会人生活でどのように役立っているのか、お話をさせていただきます。

四国財務局では「地方公共団体への財政融資資金の貸付・管理業務」に携わり、地公体が実施する過疎対策のための施設整備や市立病院の建替工事等、さまざまな場面で財政融資資金が活用され、地域社会に貢献できていることを実感しました。この業務では、資金の貸付・管理業務を行っていることから計算する機会が多くあり、計算力が大いに役立ちました。

その後、財務省主計局に出向することになりました。財務省主計局のメインとなる予算係では、各府省の予算査定を担当しており、毎年8月31日頃に各府省から翌年度の予算要求書が提出され、そこから年末の予算案閣議決定に向けて予算編成期に突入します。

私も妊娠する前までは予算係に所属しており、予算編成期中は限られた時間、そして限られた財源のもと相手省と予算折衝をしていくため、毎日深夜や朝方まで働き、そして職場に泊まることもありました。当時の私の残業時間はひどすぎて、ここではとてもご紹介できませんが、今思うとよく体がもったなと思います。精神的にも肉体的にも疲れましたが、相手省と何度も納得のいくまで予算折衝をし、何とか予算案決定まで成し遂げることができました。そろばんで培った忍耐力のおかげです。

また、一昔前は予算案や通常国会に提出する予算書も手作業で作成していましたが、もちろん現在はシステムに登録し、各種分析もできますし、予算書もシステムで作成しています。そのため、現在は一見、計算は不要であるかのように見えますが、「システムで作成した数字は信用できない」ということで、結局最後はシステムで入力したものを印刷し、人間の手で検算をしています。ここでもそろばんで培った計算力をフルに回転しました。

また、相手省と予算要求のヒアリングのときも、査定案の話になるときは計算が必要となるため電卓を用いる人が大半ですが、私はヒアリングの場にいつも電卓を持って行かなかったので、相手省のヒアリング相手は「主計局が要求ヒアリングに電卓を持って来ないなんて、自分たちのことを舐めている」と思っていたそうです。これは、当時ヒアリング相手の1人であった、夫から後に聞きました(査定当時は独身でして、査定案に私情は挟んでいません)。しかし、実際は私が電卓を使用せずに暗算で計算し査定案を示してきたので、「驚いたし、舐めていると思って申し訳なかった」と思ったそうです。

このように、社会人になってからも、そろばんで培った能力を活かす機会はたくさんあり、計算力・忍耐力以外に、事務処理能力にも活かすことができました。そろばんを習っている人は、仕事をさばくスピードも速いのではないかと思います。

 

近況・感謝の心

財務省主計局に勤務してからは、大会にはなかなか出場することができず、また現在は育児中ということもあり時間がうまく取れないのですが、今後も何とか全日本珠算選手権大会に出場し、長女もそろばんを始めたので、いつか一緒に親子で出場することが目標です。

「継続は力なり」という言葉がありますが、社会人になってからも活躍されている選手をみると本当にその通りだと実感しています。私も皆さんからそう思われるように、がんばりたいと思います。

また、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンの言葉にあるように(解釈はいろいろあると思いますが)、何事にも「努力」することが大事だと、そろばん人生で気づかされました。これまでの大会を振り返ると、やはり努力した!と自負できるものについてはよい成績を収めることができていますが(中には、大会当日緊張しすぎて不甲斐ない成績だったものもありますが)、努力していない大会については結果が出ていません。今は限られた時間の中で、いかにうまく練習できるかを考え、努力したいと思います。

最後に、ここまでやってこられたのも私を支えてくれた両親、家族、諸先生方、友人たちのおかげです。自分ひとりでは成し遂げられないことばかりでした。これからも支えてくださった皆様への感謝の心を忘れず、そろばんを続けていきたいと思います。そして、お世話になった珠算界へ、いつか何らかの形で恩返しをしたいです。

拙い文章で大変申し訳ございませんが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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