日本人としての自信と誇りを
~我々が伝承すべきもの~
~プロローグ~
なぜ私のような平凡な者に寄稿の依頼が?
歴史と伝統のある全珠連の全国誌に,ごくごく平凡な私が本当に寄稿してよいものかどうか,まだ懐疑的な気持ちの中,筆をとっている次第です。前置きが少し長くなるかもしれませんが,一言お話をさせていただければと存じます。
令和2年2月某日,大学の大先輩であり全珠連理事の丹野知行先生から「全珠連の原稿を書いてくれないか?」と依頼され,「え?私ですか?」と思わず声が漏れてしまいました。しかし,大学時代から珠算塾のアルバイトでお世話になり,卒業後も仕事やプライベートやお酒で30年近く親交がある大先輩からのお願いに,私たちの年代には「はい。喜んで!」の返事以外は,当然あり得ません。引き受けさせていただきました。その後は,何を書こうかと悩ましい日々が続きました。平凡な私には書くネタがない!「参考のために過去の会報を送っていただけますか?」と依頼しました。
後日届いた数冊の会報を拝見させていただき,愕然としました。寄稿された方々の輝かしい経歴や成績,素晴らしい文書,さらには,表題には「社会の第一線で活躍するそろばんOBから…」すべてが私には当てはまらない。今更ながら引き受けたことを後悔しました。
しかし,先輩のお願いにお応えしなければ,そして何より,教員の退職まであと2年,小学校4年生からそろばんを習い,50年近くそろばん関係でお世話になった先生方や多くの方たちに,さらに,東日本大震災で支援や応援をいただいた全国の皆様に,少しでも感謝の気持ちと恩返しをしなければならないと,拙い文章ではありますが,メ ッセージを送らせていただければと思います。
~そろばんとの出会い~
小学校低学年当時,やんちゃで外で遊ぶのが大好きで,かけ算九九もままならず,学校の成績はアヒルの大行進。そんな子供が心配だったのか,3年生の終わり頃,家の近くの珠算塾に強制収容。友達と遊ぶのが楽しくて,時に大脱走・サボタージュして,塾の先生には怒られ,母親にもこっぴどく叱られ,今思い起こせば,塾の先生と母親には本当に迷惑をかけてしまったと,今でも反省し申し訳なく思っています。当時の先生が閻魔様のようにめちゃくちゃ怖かったのと指導力があったおかげで,ハクション大魔王のような数字への抵抗も徐々になくなり,算数も理解できるようになりました。算数ができるようになると,他の科目も抵抗がなくなり少しずつできるようになりました。考えてみると,珠算のおかげで,学習へ取り組む力や集中力,暗記力や観察力などが身についたのだと思います。珠算も5年生の終わり頃には2級を取るところまでたどり着くことができました。その後,家の引っ越しとともに塾も変わり,故佐藤載子先生にお世話になり,優しい先生の指導のおかげで6年生には1級を取得することができました。私はごく平凡で遅咲きだったのだと思います。
中学校では運動部に所属して,珠算からは離れていましたが,高校は商業高校に入学し,科目の中に珠算があったので,学習とアルバイトを兼ねて,また佐藤先生の塾でお世話になりました。さらに,高校では段位の取得もでき,部活動も途中から珠算部に勧誘され,好成績は残せませんでしたが,部員とともに東北大会や全国大会にも出場することができました。珠算塾のアルバイトを通して,教えることの楽しさや難しさなどのやりがいを感じて,その頃から先生という仕事もいいなと思うようになったのかもしれません。私の人生に大きな影響を与えたのは間違いありません。
その後,大学へ入学し,どの部活動やサークルに入ろうかと迷っていましたが,大学にも珠算部があることを知り,ビックリしたのと同時に入部することに決めました。大学では,珠算部の仲間やブロック大会での全国の人たちとの出会い,そくさん研究所のアルバイトで,丹野先生をはじめ奥様の康子先生,大橋先生や大泉先生など多くの珠算関係の方とも交流を持たせていただき,指導方法など教えていただくことができました。
大学卒業後は,高校の商業科の教員として,珠算電卓の指導,数年間ですが珠算部の顧問もさせていただき,生徒を全国大会へ導いたこともありました。また,珠算電卓検定試験の運営,商業高校で行われる県の珠算大会の運営,東北六県事務局として東北六県珠算競技大会の運営など,さらに,珠算大会を通して,高校の大先輩である林大治郎先生との出会いや東北六県の珠算関係の方たちとの出会いなど,長年にわたりさまざまな場面で,珠算関係に関わらせていただきました。
今振り返ってみると,これまで意識はしていなかったのですが,私の人生の隣には,いつも珠算があったのではないかと改めて感じています。
~「読み・書き・そろばん」は永遠なり~
私は30数余年商業科の教員として高校に勤務してきました。まだまだ人間として,教員として不足している所はあると思いますが,一人の教育者として珠算だけではなく電卓やコンピュータ,さらに簿記会計など商業科目の指導にも関わってきたことで,私が感じてきたことをお話しさせていただきたいと思います。もしかしたら「井の中の蛙大海を知らず」かもしれません。あくまで私個人の考えとして受け取っていただければ幸いです。
さて,人が身につけるもの,修得するものとして昔から「読み・書き・そろばん」といわれてきました。それが現在,商業や教育界では「英語・会計・コンピュータ」といわれています。事実,小学校では,カリキュラムの中に英語やコンピュ ータやプログラミング教育が取り入れられています。教育内容や人が身につけるものは,時代の変遷や世界的な流れとともに,試行錯誤を繰り返しながら変わっていくのは当然のことだとは思います。特に日本人は,昔から海外や他の人から取り入れたものを工夫・加工・進化させて成長してきましたし,何より日本人は新し物好きであるという特徴を持っているのだと思います。これらのことは社会も人間も成長発展するうえで本当に必要なことだし,大切なことだと思います。
ところで,インドにインド式計算があるように,日本には「日本式計算」の掛け算九九とともに,卓越した道具としての「そろばん」があるのではないでしょうか。コンピュータでアルゴリズムを学習するためにプログラム教育があるように,四則演算のアルゴリズムを学習するのにそろばんが本当に優れていると思います。さらに,そろばんの素晴らしいところは,学習することで付加価値として,何より暗算力が身につき,集中力や忍耐力,考察力や観察力,目標に向けて努力する実行力など,さまざまな能力が知らず知らずのうちに身についていることだと思います。われわれ日本人は「そろばん」に対してもっと自信と誇りを持 っていいのではないでしょうか。
さらに,現在日々デジタル化が進み,コンピュ ータやスマートフォンが一人一台の時代を迎えて,「そろばんはアナログで古いもの」というイメージが多くの人の中にあるのではないでしょうか。しかし「温故知新」の言葉通り,デジタル化が進めば進むほど,物事の基本や考え方を学べる「そろばん」の効能や効力を活かせる教育をした方がよいのではないかと思っています。特に低年齢で始めるほど顕著に効果が表れると思います。これらのことは,そろばんを習ってきた人にとっては,明々白々な事実として,すでに皆さんご存じの通りだと思います。
そろばん塾の教育も学校の教育もそうですが,検定試験や大会成績のように目に見える所も大切だと思いますが,実は目には見えないそれらの所も大事なことではないでしょうか。あの水泳の金メダリストの岩崎恭子さんのように小さい頃に花が開き,それを感じる人もいるでしょうし,私のように遅咲きで何十年後かに気づき,感じる人もいるでしょう,もしかしたら,気づかないで人生を過ごす人もいるのだと思います。
~エピローグ~
少子高齢社会を迎えて,世界の中の「日本人」として自信と誇りを持ち,50年後100年後の未来を見据えて,未来を担う子供たちに何を教え何を伝え何を身につけさせていかなければならないのか。私たち大人一人ひとりが考えていかなければならないと思っています。
ところで,私の思い過ごしかもしれませんが,珠算に関わってきた第三者として少し気になることがあります。それは,珠算教育者が分散し群雄割拠しているのではないかということです。いわゆる珠算戦国時代。切磋琢磨し珠算界が繁栄していけば何もいうことはありませんが、マイナスの方向に向かうことだけは避けなければなりません。スポーツ界のように,お互いが再考する必要はないでしょうか。柔道の「自他共栄」の言葉通り,とにかく珠算界の繁栄と発展を願うばかりです。
最後になりましたが,このたび,光栄にも原稿執筆の機会をいただき感謝の気持ちでいっぱいです。珠算教育者の方をはじめ,珠算に関わるすべての皆様のご多幸と繁栄発展を祈念し,私からの応援メッセージとさせていただきます。ありがとうございました。