はじめに
息子の龍樹(りゅうじゅ)は,今,東京都荒川区にある「開成中学校」の1年生です。一見すると普通の日本の中学生ですが,彼はブラジルのサンパウロ州サンパウロ市で生まれ育ちました。数か月前まで,現地の学校で当たり前にポルトガル語で授業もテストも受け,放課後や休日はブラジル人の友達と遊んだり喧嘩をしたりして過ごしていました。現地で習っていたそろばんの読上算も,当然ポルトガル語です。
両親は日本人であるものの,父親はブラジル在住30年で現在もサンパウロで暮らしていて,母親である私は結婚してサンパウロに移ってから今春までの16年8か月間そこに住み,ブラジル社会の一員として普通に生活していました。
私自身がそろばん選手だったというわけではありません。それでも,息子を通じて,遠く離れたブラジルで「そろばん」と「日本の中学受験」にがむしゃらに取り組みました。そして,それを足掛かりに,それまでとは文化が全く異なる日本で親子二人の暮らしを開始しました。
そんな人間もいると知っていただくことが,日本のいたる所や世界のどこかで何かと闘いながらそろばんをがんばっている人の励みになればと思い,これを書いています。
為さねば成らぬ何事も
龍樹がそろばんを習い始めたのは小学1年の初めです。そうはいっても,彼が「そろばんを習いたい」と言い出したのは幼稚園の年中のとき。サンパウロ市にある日系の幼稚園でそろばんの存在を知って興味を持ったようでした。ただ,その頃は家の近所に珠算塾がなく,彼の願いは叶いませんでした。
しばらくして通塾可能な地区で珠算塾が開講したとき,龍樹は,天が自分に味方したように思ったそうです。一身上の都合で開講から半年遅れでしたが,念願の珠算塾に入った息子は,水を得た魚のように練習に励みました。
当時のブラジルでは,「全伯珠算選手権大会」という全国大会が,年に一度開催されていました。選手たちは年齢にかかわらずレベル別に競い,最高レベルである「段の部」の優勝者がブラジルチャンピオンの座につきます。
龍樹は習い始めた年に「8級の部」で大会に初出場しました。そして,そのときに会場で目にした光り輝く一番大きな優勝トロフィーやカップに心奪われた彼は,“次回大会での『段の部』優勝”に狙いを定めました。8級でも1位を獲れなかったにもかかわらず。
彼は本気でした。それが伝染し,親の私も珠算塾の先生方も,戯言のようなその目標を疑わず,一丸となって猛進しました。翌年,小学2年生の龍樹は,「全伯珠算選手権大会『段の部』」に唯一の小学生として出場。よい流れを引き寄せ,最年少でブラジルチャンピオンになりました。
本場の日本から地球半周も離れたブラジルの珠算界は,日本とは比較にならない小さな規模です。龍樹の競争相手は,すぐにいなくなりました。彼が張り合いを失くしていることに気付いたサンパウロの珠算塾の先生は,日本の珠算関係者に協力を求めました。
積極的に力を貸してくださる日本の珠算塾もありました。授業をオンラインでブラジルと繋げてくださったり,日本の中学生選手たちを連れて訪伯してくださったり。一方で,龍樹は学校の長期休みに日本へ行き,珠算塾の授業を体験し,意識を高めるために珠算大会にも参加しました。日本がどんどん身近になりました。
そういう関わりを通して,龍樹は「中学受験」の存在を知りました。
そもそも,ブラジルでは「日本人は勤勉で優秀」というイメージを持っている人は少なくありません。龍樹もその一人でした。「中学受験をすると,優秀な日本人たちの中でもさらに学力が高い子供たちが集まる学校に行ける」と聞き,彼の心に火がつきました。小学3年の終わり頃でした。
中学受験を志して最初にしたことは,幼稚園のときに一度覚えて小学校で忘れてしまった「ひらがな・カタカナ」。次は,日本の公立小学校の国語の教科書の音読。そして小学1年から4年までの漢字。こうして,壊滅的だった語彙は徐々に増えていきました。もっとも,がんばって日本語を覚えても「国語の問題」は別次元で,歯が立ちませんでした。
おまけに,息子は生まれてこの方ブラジル生活ですから,日本の常識も土地勘も季節感も皆無。「桜」も「地震」も知りません。社会科はチンプンカンプンで,オンラインで最初に受けた日本の模試の偏差値は17でした。
他方,算数の勉強は日本の小学3年の教科書から始めました。そろばんで培った計算力と数字感覚のお陰で,問題文の日本語を説明すると難なく進み,5か月で小学6年の教科書の最後までが終わりました。
現地学校でブラジルの教科を履修しながら,両親の監督のもと自宅で日本の受験勉強を進めました。自分との闘いは骨が折れましたが,悪い見本や厳しい現実を目にしないので,絶望することもありませんでした。
また,陽気なブラジルの空気に育まれた能天気な彼の性格に加え,「全伯珠算選手権大会」での成功体験が,受験勉強を続けるうえで代えがたい強みでした。それを活かすため,中途半端にそろばんをフェードアウトせず,受験勉強の目先のペースは落ちても「珠算十段」を取ることにしました。ブラジル史上初ということで,大きな期待とともに,多くの方の助けをいただきながら,小学5年生のうちに何とか十段に合格。気持ち良くそろばんにひと区切りつけ,そのあとは,入試に向かって一心不乱に走りました。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も」。これは,「できそうにないことでも強い意志をもって実行すれば必ず成就する」という,積極果敢な挑戦の大切さを説いた有名なことばです。
中学入試の合格発表で息子の受験番号を見つけたときは,まさに「為せば成る」だと思いました。しかし,違いました。結果は結果。ブラジルでのそろばんと海外からの中学受験の経験から私たち親子が本当に会得したことは,「為さねば成らぬ」の方だったように感じます。
おわりに
日本の生活は何もかもが新鮮で,龍樹は試行錯誤しながら充実した日々を過ごしています。縁があり,日本でもそろばんを習い始めました。これまでは井の中の蛙でしたから,日本の珠算界のレベルの高さと層の厚さに気が遠くなることもあります。それでも,日本のそろばんにもパワー全開で挑むつもりです。世界のどこにいても,「為さなければ成るはずがない」のですから。
皆さんも,自分の可能性に蓋をせず,結果を恐れず,いろんな目標に挑戦してみてください。