この度は全珠連東京事務局の足達さんに,このような貴重な機会をいただきましたことを心より感謝申しあげます。
YELLをお読みいただいている皆さん,初めまして。私は現在,東京大学大学院と国立天文台で惑星形成の理論について勉強・研究をしております。初めにYELL執筆のお話をいただいたときは,私のような若輩者が先輩方のような立派な文章が書けるのかと少し心配になりました。しかし,年少者だからこその視点でそろばんを学習している子供たちに伝えられることがあるのではないか,もしこれを読んでいただいた方々に何かよいものを与えることができれば何よりだと思い,書かせていただくことにしました。ずっと理系の中で生きてきている人間であるため,文才は本当にないのですが,最後まで温かい目でお読みいただけると幸いです。
そろばん教室・競技生活について
私のそろばん学習がスタートしたのは,小学2年の頃です。保育園の頃からの友達の誘いで竹原珠算学校上野教室に入り,渡辺禎子先生の下で学び始めました。幼少期から数字や道具を扱うことが好きであったということもあり,そろばんの技能はめきめきと上達し,小学3年で3級取得,小学5年で段位取得にまで至りました。競技会にも小学2年の頃から出場させていただき,同年代のライバルたちが華々しく活躍している姿を見て,「自分も表彰式の壇上に上がれるほどの強い選手になりたい」という気持ちが湧き上がりました。
小学3年の頃に出場した大会のサドンデス方式による読上暗算競技で,あと一歩のところで優勝を逃してしまったことが起爆剤となりました。小学6年の頃に県で初優勝を果たしたとき,結果発表に驚きながらも仲間たちと大いに喜び合ったことを今でも覚えています。
中学に入ってからは全国大会にも出場する機会が増え,全国の猛者と競い合うという経験ができるようになりました。そこで出会う選手たちは誰も彼もが超一流で,自分がどれだけ気の遠くなるような努力をしたらこのような方々に追いつけるのだろうかと思いましたし,このような方々と同じ緊張感を味わえているんだというある種の達成感は,私にとって最高にしびれる経験でした。全国大会において目立った成績を出すことはあまりありませんでしたが,最高峰の現場に早いうちに触れられたということは,そろばんの一線から退いた高校以降の生活においても心理面や勝負事において大きな強みとなっていきました。
そろばん訪米使節団
私が中学1年の頃,渡辺先生と校長の竹原先生に推薦され,第24回そろばん訪米使節団のメンバーに選出されました。私にとっては初めての飛行機であり,初めての海外経験であり,初めての時差ぼけの経験でした。アメリカで見た光景や文化は私が普段目にしているものとは全く違い,その全てが新鮮そのものでした。日本語が全く通じない世界であるので,英語で全てを解決しなければならないというのは,当時の私にとってとてもチャレンジングなものでした。特に現地の学校訪問は初めての人に教えるという経験でした。スタッフの先生方によるやさしい英会話講座で学校訪問で使う基本的な英語は頭に叩き込んでいたのですが,やはり本番は今まで感じたことのないほど緊張しました。拙い英語力であったのですが,ボディランゲージを用いながら何とか相手に伝えることができたという経験は,この上ない喜びでした。また,人に何かを伝えるということはなんて楽しいことなのだろうかと感じるきっかけにもなり,大学において中高の理科の教員免許を取得するまでになりました。英会話によって得られた経験は,現在天文台で留学生と話す際に活かされていますし,今後学会の発表などでもきっと発揮できると思います。
そして,私が参加した回は数年に一度の大移動だったらしく,カリフォルニア州のみならず隣のアリゾナ州のグランドキャニオンにも行きました。深さ1000mの谷ということは事前に知っていたのですが,その景観は想像を絶するほど圧巻で,自然がここまでの圧倒的なものを作り出すのかという人生で最大の衝撃でした。この圧倒された経験を理論的に解き明かしてみたいというモチベーションが理系の道を志す大きな要因となり,今こうして天文学の研究ができているのではないかと思います。余談となってしまいますが,弟たちが参加させていただいたご縁もあって,第31回そろばん訪米使節団の結団式に出席させていただきました。そこで出会った長野県から参加していた方と3年後の教育実習において再会し,世界の狭さを実感しています。
そろばんを通して人生でプラスになったこと
珠算教育において培われる能力といえば,まずは計算力でしょう。普段の生活において消費税の計算や予算通りに買い物をするときはもちろんなのですが,受験や研究生活にも大いに役立っています。具体例としては,物理学の実験で結果の概算をするときにそろばんで培った計算力が発揮されます。研究を行う際には,計算結果が大まかにどれくらいになりそうか予想を立ててから実験などを始めるのですが,その事前計算にある程度の根拠があると考察がしやすくなります。これは学部生時代の実験において,電磁気学や力学,熱力学などさまざまな分野に応用することができました。現在,私の専攻している分野がスーパーコンピュータの数値計算によるシミュレーションであるため,そろばんによる計算力はこれからますます私の活躍の場を広げてくれるでしょう。
次に,忍耐力です。私の中学校でのそろばん生活はスランプの連続でした。全国大会に多く出させてもらえるようになったのもこの頃からですが,過度の緊張で結果を出せないことがほとんどで,検定試験でも半年以上昇段しないといったことも経験しました。上手くやってやろうと意気込むほど失敗するときのショックは大きいものです。しかし,失敗の経験をするたびに「報われるタイミングが今じゃないだけで,努力や失敗から学んだことは必ずどこかで気まぐれなタイミングで活かされる」と信じて,努力を続けることを惜しみませんでした。私は大学受験において1年間浪人を経験し,外部の大学から東大院に進学したという進路だったのですが,そろばんで培ったどんなに苦しくても諦めない気持ちが大学や大学院入試の合格に導いてくれたように思います。
最後に,知的好奇心です。私はそろばん生活において昇段の喜びや大会での切磋琢磨,訪米使節団での海外体験や多くの人々との交流など,他では得られることができない数々の刺激的な経験をしてきました。経験を積んでいく度に,その経験よりもっと爽快感や面白さを味わいたいといった気持ちが強まっていきました。現在,国立天文台で理論研究をしていますが,そろばん人生で培った知的好奇心が惑星形成のメカニズムや地球のような惑星が見つかる確率を解き明かしていきたいといった研究に対するモチベーションの種となっていきました。
ここで,私の土台を創り上げてくれたそろばんに感謝するとともに,私が訪米使節団にて澤田悦子先生から授かって以来ずっと大切にしてきている「あ・た・ま」という言葉を贈り,締めとさせていただきます。
「『あ』かるく,『た』のしく,『ま』えむきに」
そろばんに関わっている皆さん,是非この「あ・た・ま」を忘れずに充実したそろばん生活を送られることを三鷹の地より願っています。